この地域はもともと小田原とよばれ

当尾(とおの)荘荘園があり藤原一族の近衛家の領地であった

末法(1052年~)に入る前の1047年(永承2年)に創建され

この時の本尊は薬師如来

薬師は生きる力として薬を与え瑠璃光で娑婆世界を照らす

日が昇る東方には浄瑠璃浄土という清らかな世界があり

その主が薬師如来であり

ここから浄瑠璃寺という名がついた

 

末法に入ったのちは浄土思想により

嘉承年間(1106〜08年)に現在残る九体阿弥陀像が造られた

その後1150年(久安6)興福寺一乗院門跡であった恵信が

興福寺に不満を抱き当地小田原に隠棲したころに

浄瑠璃寺の堂舎を整え 池をさらに掘り石を立てて

庭園を整備したという記録がある

恵信はその後1157年(保元2)

興福寺の別当に任命されるが

その前の1150〜1157年の間に

九体阿弥陀堂を池の西岸

(西方浄土という浄土思想により)に

移したという記録がある

その1157年が現在の九体阿弥陀堂の

建立年代と考えられている

(下写真)池の真西に配置された九体阿弥陀堂

春秋のお彼岸には太陽は堂の中央に沈んでいく

 

三重塔はさらにその後1178年(治承2)に

京都一条大宮から現在の位置に移築されて

もともとの本尊である薬師如来像を安置した

薬師如来は現世利益の仏であり

ここで浄瑠璃寺は現世と来世を担う

浄土教寺院として完成した

 

(下写真)池の真東に配置された三重塔

春秋のお彼岸には塔の背後から日が昇る

 

(下写真)恵心は整備した池の西(右)の方角に

九体阿弥陀堂を移建した

池の中央に中島を配する

左に見える半島は三重塔前にあたる

 

(下写真)1178年ここへ移築された三重塔は

池の東の高台に建て薬師如来像を安置することで

現世を照らす浄瑠璃浄土をあらわした

中島に続く岬の先端の景石が

阿弥陀堂―景石―三重塔の軸線をつくり

明解なデザインである

春秋のお彼岸には真東にある三重塔の背後から日が昇り

真西にある九体阿弥陀堂の中央に陽が沈むという

綿密な配置計画がされている

お彼岸は東と西の二つの仏が

太陽の軌道で結ばれる日となる

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