兵主大社の庭園は明治27(1894)年 

七代目小川治兵衛(植治)が

発掘調査及び改修工事が行った際

地中1mから平安時代の州浜護岸が発見された

当神社の案内チラシによると

当時は水の流れを利用して祭祀が行われていた と

しかし現在はその後の姿に復されている

現在のデザインは植治によるものでしょうか

それ以前の庭園を踏襲したものでしょうか?

中島と石橋

石橋は三連で優雅な姿

 

下は復元図でかつては拝殿 本殿の周囲を

ほぼ左右対称に水路が取り巻いていた

 

現在は州浜護岸でなく石組護岸となっている

 

庭から拝殿(向かって右の檜皮葺建築)本殿(左)を見る

本殿は市指定文化財

 

導水路と土橋