長篠の戦いは1575年(天正3年)5月

武田軍と

信長・家康連合軍の戦い

長篠城は東南から攻める武田軍を迎えうった城です

この長篠城址 今は新城市にあります

古色あふれる城址碑

今は本丸跡地やわずかな土塁が残るだけ

(上写真)長篠城から

敵対する武田軍が砦を築いた山並みを見る

すぐ前にJR飯田線その向こうに宇連川があり

新東名高速道路の橋梁がみえる

この川のむこうの山に武田軍が五つの砦を構え対峙した

この戦いでは5月20日深夜

家康配下の酒井忠次が川を渡り

その砦の背後に回り

翌朝一挙に攻めすべて陥落させたという

 

下は長篠城から見た武田軍の五つの砦

それと同ころに

設楽原では信長・家康連合軍本隊の鉄砲隊が

馬防柵を設け武田軍を迎え撃ち

武田軍は壊滅状態となった という

この模様は歴史の教科書で一度は見た

長篠合戦図屏風に描かれています