前回紹介した西芳寺の庭園や建築は

足利将軍家の三代義満や八代義政が

自らの別荘をつくるために手本とされた

西芳寺は足利将軍家にとって

魅力的な庭園であり建築であり

またそれらをあわせた景観美の世界であった

西芳寺が時代の感性を先取りしていたのであろう

 

多治見市永保寺 2019年5月撮影

観音堂と池泉に浮かぶ廊橋

疎石の建造当時の池泉と廊橋の景観が伝わる

 

2015年12月撮影

夢窓疎石が求めた景観美について

ヒントになるのが「十境」という言葉です

疎石は天龍寺とその周辺景観もふくめ

「十境」(十の境致)といって

景観ベスト10を選びそれぞれ漢詩でめでている

その中には建築もあり、庭園や自然の景観もある

疎石自身がそういった境致を目指すことで

当代の最高の景観美が生まれたと考えられます

そのベースには疎石の素晴らしい感性があったからこそです

「十境」や「境致」という言葉は

元来は禅宗とともに中国から伝わったようですが

命名に禅宗的な修行があるともいわれます

その後は世俗的な建築や庭園にもつかわれたようです

夢窓疎石以後で

義政の東山殿でも「十境」が語られており

そこではむしろ世俗的な欲望によるものと思われる

しかし西芳寺も東山殿も美しい景観を創作するという点では一致している

景観の中には楼閣や廊橋などの建造物がつくられ

自然を模して造られた庭や自然景観とも

調和して得も言われぬ光景をつくる

その一点が両者が共通して目指したところであります