絵画アトリエひとりごと
名所江戸百景の時代背景 歌川広重の人生をおもう
歌川広重が名所江戸百景を手掛けたのは
彼の最晩年の1856年(安政3年、60歳)以降
その前年の1855年(安政2)10月2日に
江戸に大地震が起きた
安政の大地震です
江戸ではいたるところで火の手が上がり
家屋が倒壊し多くの人命が失われた
そこで広重がこの最晩年に考えたことは
絵師としての自分ができること
それはかつての美しい江戸を描き
皆に元気になってもらうことだ
それが浮世絵「名所江戸百景」出版のきっかけとなった
太田記念美術館監修 「広重 名所江戸百景」より
製作は1856年(安政3)から始まり
1857年(安政4年)には108点がそろったが
人気はその後もつづいたため新作が加えられ
1858年(安政5、62歳)死去後も3点加えられ合計118点
さらに翌年二代目歌川広重が描いた最後の一点と
目録の一点を加え合計120点となった
二代目広重による「赤坂桐畑雨中夕けい」
講談社版 「広重TOKYO名所江戸百景」より
最晩年にふさわしい広重の思い
そして画業の集大成としての優れた作品
それらが名所江戸百景の価値を高めています
素晴らしい人生の終わり方ですね