小牧山城は1563年(永禄6年 信長30歳)に

織田信長が清州から移した居城

1567年(永禄10 同34歳)に美濃の齋藤龍興を落とし

岐阜城に移るまでの居城である

その後1582年(天正10年 同49歳)

信長が本能寺の変で倒れたあと

1585年(天正13年)小牧・長久手の戦いで

秀吉と家康織田信雄連合軍が戦った際に

家康軍が小牧山に陣を構えた場所でもある

戦いは和睦という結果になり

その後小牧山城は廃城となった

したがってこの城には

信長時代と家康時代の痕跡が残る

下は南正面にある土塁で

家康時代に敵から守るためにつくられたもの

内側から見た土塁

道路の向こうに見えるのは小牧市役所

山の中腹にある空堀

これも家康がつくったものとか

山の麓にある虎口(こぐち)とよばれる

城の出入り口

これも家康時代の遺構

その向こうには川が流れ自然の堀となっている

写真の木橋は見学用につくられた現代の橋

曲輪(くるわ)とよばれる小牧山内の平地

下は最大の曲輪で

信長の屋敷跡だと考えられている

信長時代の小牧山城の

天守周辺は石垣で造成され

強固な地盤をつくっていた

瓦が出土してないので

要塞のような天守であったらしい

下2枚写真 信長時代の石垣が残っている

 

現在 石垣の裏込め石が展示されている

現代の裏込め石と比較すると大変大きな石が使われ

排水には高い効果があったであろう

現在天守の裏の地で

石垣を復元する工事が進行中