日本建築ランドスケープ京都アトリエひとりごと
秀吉の「国家安康」の鐘と周辺の史跡 石塁と南大門
方広寺と豊国神社は
ともに京都国立博物館の北に位置する
方広寺は1586年秀吉が大仏殿をつくった寺である
1596年の大地震で壊れ さらに1602年に炎上した
1610年徳川家康は秀頼に大仏殿の再興をすすめ
2年後大仏殿が完成した
下は明治期に再興された現在の方広寺鐘楼
姿は東大寺鐘楼によく似ている
方広寺の鐘は
これも家康の勧めで1614年秀頼がつくった
「国家安康・・・君臣豊楽」の文言が家康の怒りをかい
大坂冬の陣に さらには豊臣家の滅亡につながっていった
これらは徳川家が豊臣家の財力の消耗をねらい
滅亡させるための謀略であり
そのうらで家康と天海と金地院崇伝の
深い関係があったといわれる
秀頼がつくった大仏殿も1662年に地震で倒壊し
金銅大仏は徳川氏により貨幣に改鋳されたということ
鐘楼内部
当寺の説明(縦看板の説明)によると
この天井画は伏見城の女性の化粧室の天井画という
白抜きされた部分が「国家安康・・・君臣豊楽」の文字
一方豊国神社は1599年秀吉の遺命により創建された
豊臣家滅亡後 徳川家はこれを破却したが
明治になって方広寺境内の現在の地に移された
唐門は豊国神社が破却されたあと
二条城や金地院に移され
明治の再興期にここに移された