琵琶湖周辺には風光明媚な景色がおおく

それらの代表は近江八景として語りつがれている

そのうちの一つ

石山寺では「石山の秋月」として

石山寺の高台から望む秋の月と

その月明りを映した琵琶湖の情景があげられる

またその付近では「瀬田の唐橋」があり

今はコンクリートの橋だが

瀬田川やその背景の琵琶湖の風景を重ねると

今でも風情のある風景である

石山寺は奈良東大寺の大仏殿の造営中に

東大寺の良弁僧正が

すでにあった寺院を拡大したという

その理由は 当地にはそれ以前から

東大寺の造営のための用材を琵琶湖周辺から

集積するための役所があったためである

石山寺の境内の中央には巨大な岩塊が居すわる

こらは天然記念物にも指定されている珪灰石である

石山寺には

そのダイナミックな風景を生かしながら

それを取り込み

境内空間を創作しようとする意図が感じられる

そこは自然と人工物が協和してたかめあい

一つ上のランクの創作物と感じられる

 

下は当寺のチラシの案内図である

珪灰石がいたるところで露出していることがわかる

東大門(1190年 重文 源頼朝寄進ー豊臣家大修理)

をくぐるとしばらく平坦な参道が続く

それは珪灰石の正面に達するための行程である

そして右に折れ階段を上がりきると

目の前に珪灰石の巨魁が現れる

そして驚くことに

珪灰石の上方に多宝塔が見えるのである

この塔は源頼朝が寄進し1194年に建立したもので

歴史的に最も古く 最も大きく

そして最も美しい(これは主観にもよるが)多宝塔

として国宝に指定されている

 

この高低差のある境内を珪灰石を前にして左に折れると

最初に現れるのが国宝本堂

下は外陣部分を支える懸け造の構造

 

下写真は本堂を東から見る

右手前が平安期の内陣 左奥が桃山期の外陣

奈良期につくられたが平安期に焼失

その後再建されたのが

現在の内陣(現在の堂の後半部)

前半部は桃山期に豊臣家の寄進により

懸け造で増築された外陣部分で

全体を一つの大きな屋根で覆っている

宗派は この頃には東大寺系から

密教(東寺真言宗)系に転じており

平面形も密教本堂型となっている

下写真は堂の後部の平安期の部分をみる

下は外陣部分の吹き放ち通路の部分 本堂から南東方向を見る

 

その内陣と外陣の間に合の間が挟まり

現在はその部分を紫式部源氏の間として

紫式部の坐像が置かれている

下写真 唐破風で紫の幕がかかっている部分が紫式部源氏の間

 

本堂からは珪灰石のまわりの高低差のある

岩場の境内を右回りにめぐる

本堂 →三十八所権現社本殿(重文 桃山期) →経蔵(重文 桃山期) →

多宝塔 →鐘楼(重文 鎌倉後期) →御影堂(重文 室町期)

古建築をめぐるテーマパークのようである

下は三十八所権現社本殿

この中で多宝塔は最も高い位置にあるが

その土地レベルの東端には月見亭が東向きに建ち

近江八景の一つのビューポイントとなる(下写真)

月見物はもちろんのこと

眼下には瀬田川、その川岸の桜

そして遠くには琵琶湖を望見できる

(はずであるが現在は樹木が視界をさえぎって見えない)

 

下は桜に時期に瀬田川を眺める

琵琶湖は左方向にある