三重県津市にある高田山専修寺は

親鸞聖人が開いた真宗高田派の本山である

上写真

中央は御影堂(江戸期1666年)、左手前は如来堂(江戸期1720年、ともに国宝)

二棟を結ぶ通天橋(1800年、重文)

 

専修寺を含む寺内町は

正保2(1645)年の大火のあと

敷地の規模が東西約500m、南北約450mと拡大された

周辺は川や堀で囲まれ「一身田寺内町」と呼ばれる

建築では数年前に御影堂と如来堂が国宝に昇格し

その他11棟の重要文化財を有している

今回紹介するのは

専修寺山門(国重文)とその40mほど先にある

釘貫門(くぎぬきもん)・石橋(ともに江戸期、津市文化財)と

その二つの門に囲まれたスペースである

 

下 山門(江戸中期、重文)は御影堂の正面に立ち

御影堂専用の入り口のような配置

 

下は逆に山門から釘貫門を見た景観

両側には塔頭の門が並び厳かな雰囲気

 

下写真

逆の方向から釘貫門とその向こうにある山門を見る

釘貫門の手前にある石橋は

寺内町の中の寺院ゾーンと

町人ゾーンを分離する小さな堀にかかっている

 

下二枚

石橋、釘貫門の外から向こうの正面に山門を見る

 

この釘貫門・石橋と専修寺山門に囲まれたスペースは

広場のように石畳が敷かれ、

両側には専修寺の塔頭寺院が門を構え、

厳かな雰囲気を醸し出している。

ところが釘貫門を外へ出て石橋を渡るととたんに

町人街の砕けた雰囲気に変化する。

この門は釘貫「門」と呼ばれるが

開閉する門扉がなく常に開放状態である。

開放部の両脇に木縦格子の塀があるのみである。

視線が抜ける木格子塀と

その中央部分が自由に行き来できる門ではあるが、

そこを経由することで俗界から聖なる領域へ入ることを

意識させる建築的表現と考えられ、

自然と襟を正す気分になる。

その先の山門までの40mほどの距離で

さらに俗界の汚れを払い落とすという

意識があるに違いない。