京都大原三千院は往生極楽院とも呼ばれ

また三千院の本堂のことを

往生極楽院阿弥陀堂ともよぶ

三千院は天台宗を開いた

最澄が比叡山東塔に建てた

草庵が起源とされとされる

その後場所を転々とかえ

現在の地に移ったという

霊元天皇(在位1663~87年)筆の勅額により

三千院と呼ばれるようになった(当寺チラシによる)

また往生極楽院は天台浄土教の大成者である

恵心僧都源信が985年に創立した寺と伝える

阿弥陀堂は本尊脇侍銘から

1148年の建築と考えられている

以前は往生極楽院は

三千院とは別の寺院であったが

三千院境内に編入され

今は三千院の中心的な堂となっている

平安初期には山中に分け入って

簡素な庵を築いた仏僧が少なからずいた

周囲の山水を自然のままに受け入れ

素朴な庵をつくることから始まった

その早い例に奈良室生寺がある

いずれも美しい環境の中で

名建築が共演するような境内が多くつくられていく

 

三千院には江戸期以降につくられた

聚碧園と有清園の建築と庭が残る

しかし平安後期に建立された

往生極楽院阿弥陀堂を取り囲む場所は

自然の山水をほぼそのまま

受け入れた環境の中にあり

直立した何本かの針葉樹や

苔に覆われ波打つ地面に囲まれ

自然素材でつくられた往生極楽院が

建築と庭の境界も取り去り見事に調和している

(上)三千院宸殿を出ると前方に阿弥陀堂が現れる

(下)宸殿前から阿弥陀堂(背面)を見る

 

下は正面の姿

この堂の中には

国宝の阿弥陀三尊像を祀り

それを納めるための舟底天井の

内部空間もスケール感覚はピッタリ

地面の姿は

 ごく自然に波打つようで

作為が感じられないよさがある

山中ではふつうに見られる景観を

取り入れた草庵風の庭園が基調になっている