西芳寺の起源は

平安時代末期に建立したという「西方寺」

そのころはおそらく浄土庭園であった といわれる

そのとき建立した貴族の末裔から請われて

1339年に夢窓疎石が再興した禅宗寺院が西芳寺です

 

しかし疎石がつくった堂舎も庭園も

今はその姿をとどめていない

今はただ池泉と一面を苔で覆われた地面

そこに全体を深い樹木が覆いつくすという緑一色の景観です

西芳寺は疎石が手掛けて以後

室町将軍により庭や堂舎の手本とされた

 

三代足利義満はかねてから名園であった

西園寺家の別荘(現在の金閣寺の地)

譲り受け大々的な改修を加え

仙洞御所になぞらえて北山殿(北山山荘)とした

1408年天皇の行幸を仰いでいる

この時建てた金閣は

西芳寺にあった楼閣 瑠璃殿を模したといわれる

また八代将軍義政が1480年に工事着手した東山殿

この時も義政が西芳寺をたびたび訪問しており

銀閣も瑠璃殿を模したといわれる

 

下写真は金剛池

池の右側の敷地に瑠璃殿があった

つまり現存する金閣や銀閣のような建物が建っていた

池の中にある夜泊石は

瑠璃殿へと架けられた橋の基礎が残ったなど

いろいろ解釈がある

 

もう一方の大きい池 黄金池には中島が三つある

下写真はその一つ 長島

これは金閣寺の池に浮かぶ葦原島の

モデルとなったといわれます

(下写真)

左の石垣は船着き場

右の島が長島

 

下写真は

黄金池に浮かぶ二つの中島

夕陽が島(左)と朝日が島(右)

この文章の中で歴史的な見解は

小野健吉「日本庭園―空間の美と歴史」(2009年岩波新書)を参照した