金閣寺そして銀閣寺

現在の建築群と庭園の姿は

室町時代の創建当時から大きく改修されている

三代足利義満はかねてから名園であった

西園寺家の別荘(現在の金閣寺の地)を

1397年に譲り受け大々的な改修を加え

仙洞御所になぞらえて北山殿(北山山荘)とした

完成後1408年天皇の行幸を仰いでいる

この時建てた金閣は

西芳寺にあった楼閣 瑠璃殿を模したといわれる

ただし瑠璃殿は2階楼閣だが金閣は3階の楼閣である

その他金閣の北側にあった二階建ての会所や

それを金閣とつなぐ2階建ての渡り廊下があった

さらにその北には泉殿などがあったといわれる

 

また八代将軍義政の東山殿は

応仁の乱以後の1482年(46歳)に工事着手

 

義政はその以前に西芳寺をたびたび訪問したようですが

東山殿着工時はすでに西芳寺建立(1339年)から

100年以上経過している

義政は完成を待たす1483年にここに移り住み

造営は義政が死去する1490年まで続けられた

ここでも銀閣は瑠璃殿を模したといわれる

しかし東山殿は

義政が死去する前年に訪問した人物の記録に

庭の中には泉殿のほか

釣秋亭、弄清亭、漱蘇亭などが配されており

二人は池に架かる龍背橋(中央に小亭を備えた橋)で

休憩などはさみながらそれらの建物を巡ったとある

現在ある観音殿(銀閣)や東求堂といった主要な建物のほかに

園池周辺の随所に亭を配しそれらを巡った。

建築史家の川上貢氏によれば

西芳寺と同じような堂舎が名前を変えて存在した、という。

 

東山殿の大規模な改修は江戸初期に

銀閣以外の建築は東求堂もふくめ移動し

池の形や護岸石組も改修されたといわれる

向月台や銀沙灘は

江戸期の中―後期につくられたとのことである

参考図書

小野健吉「日本庭園-空間の美の歴史」

2009年岩波新書