滋賀日本建築庭アトリエひとりごと
米原 青岸寺の庭園
米原青岸寺は
江戸初期の慶安3年(1650年)に
復興され庭園もそのころにつくられた
しかしその後延宝5年(1677年)
彦根四代藩主の命で
彦根城玄宮園、楽々園を造営のために
庭石が全部運び出されたという
その翌年当寺の興欣和尚が楽々園の作者で
井伊氏家臣の香取氏に
つくらせた庭が現在残る庭とのこと
この歴史はユニークで面白いが
寺としてはたまったものでない
(上写真)右手奥の一番高い位置の石組が三尊石で
久遠実成をあらわすという
手前の松がある石組は亀島で
青松を植え蓬莱神仙の世界をつくる
和尚が諸経から得た悟りの世界を
一木一石に込めたという
左前方に見える建物は
明治37年につくられた書院「六湛庵」
下写真 この石橋を渡ると聖域に入る
右手の島が蓬莱山
亀島の向こうに三尊石を見る
亀島の石組は鶴でもあり
鶴亀兼用のおめでたい蓬莱山である