長谷寺の歴史は古く

686年に天武天皇の病気平癒のために

「銅板法華説相図」(国宝)を鋳造したといわれる

登廊は平安時代に長谷寺からご利益を受けた信者が

1039年に寄進したといわれる

それ以前は山道を登ったとのこと

現在の本堂や登廊は江戸時代以降の再建

本堂は巨大な本堂建築で1650年に再建され国宝

同時に仁王門と登り廊、鐘楼も再建された

しかし1882年に仁王門と下登廊と中登廊が焼失し

1889年に再再建された

これらの仁王門とすべての登廊と鐘楼が

重要文化財に指定されている

その登廊は意外と計画的に

つくられていることに最近気が付いた

まずは登廊の階段を調べた結果

踏面は一定で450mm

蹴上は120~140mm程度であり

外構部としてもゆったりとして大変上りやすくできている

下は仁王門

仁王門を入るとすぐに下登廊が現れる

下登廊は上中下3本の登廊の中では最も長く

全体の半分以上の長さをもつ

ほぼ本堂正面に向かって進む

 

(下)登廊の両脇の石積擁壁を見ると

この廊をつくるために大規模な切土をして

言ってみれば結構強引な方法で工事をしたことが窺える

下は最初の曲がり角

ここには下登廊と中登廊を直接繋ぐのではなく

繋屋という廊とは別の建物を建て

直角でつながらない2本の廊をとりもっている

廊ははあくまでも単独の一直線状の建物としてつくるこだわる

これらのデザインには日本人独特の感性が感じられる

そしてこの連続した廊動線の外側に水屋が設置している

これも直線的な廊の動線を妨げないという

気づかいと考えられる

 

下は二つ目の曲がり角で

この曲がり角では蔵王堂をお参りすることができる

ここでも廊の動線の外側に蔵王堂をおく

 

(下)正面に見えるのが蔵王堂

右は下へおりる中登廊

手前後方が上登廊

 

最後の曲がり角では結節点に鐘楼をおいている

鐘「楼」であるから鐘は上階におき

「楼」の下は柱4本で支え吹き放ち空間として

廊を妨げない形となっている

その向こうにはすぐのところに

巨大な本堂が見える

 

(下)鐘楼下の位置からは諸堂が建つ広い境内が見える

 

廊から鐘楼の上階にある鐘を見る

四角い穴から鐘は見えるが

どのように鐘を突くのであろうか

 

廊の動線は本堂の中まで続く

一筆書きの1本の動線へのこだわりが強く感じられる

 

(下)本堂内の動線はさらに本堂の反対側まで続いていく