秋篠寺は奈良の平城宮跡の北西に位置する

鎌倉前期建立の本堂が残り

国宝に指定されている

奈良時代末期(宝亀7年(776年))に

光仁天皇の勅願により創建されたと伝わる

もう一つ

草創に関してはそれ以前

秋篠朝臣の所領であった当地に

秋篠氏の氏寺が営まれたが

光仁天皇が勅願寺に変えられたとする説もある

いずれにしても創建は明確ではない

現在でも秋篠寺の所領は広大で

林の中には東塔や西塔のそして金堂の礎石も残る

 

(下)門を入ると木々が生い茂った静かな境内を

歩くこと数分で本堂が現れる

 

保元元年(1135年)一山兵火にかかり

講堂ほか数棟を残すのみとなった

現在の本堂はその講堂の位置にあたる

焼け残った講堂を大修理をしたか

新たに建て直したか それとも

旧材を使用して建て直した可能性もあろう

現在残る本堂は骨太の奈良期の和様式にちかく

下写真で示した東大寺三月堂

(奈良期につくられた後ろ半分部分)と大変よく似ている

しかし建立は鎌倉前期とされる

貫を建具のまぐさ材としており

これは元来の和様にない手法であり

東大寺の南大門など大仏様の影響と考えられる(上)秋篠寺本堂を正面から見る

(下)同本堂を斜め前から見る

下は東大寺三月堂を北から見た姿(奈良期の建立の部分)

この三月堂と秋篠寺本堂を比較してみても

細部詳細デザインも全体の雰囲気も大変よく似ている

 

この秋篠寺では伎芸天立像(重文)があることでも有名である

お顔を少し傾けやさしく微笑むチャーミングな姿

伎芸にたけた天女で

衆生の吉祥と芸能をつかさどり

諸技諸芸の祈願を受けるとのことである

実はこの像は火災の際に

頭部だけしか救出できず胴は鎌倉期に後補した

頭部は奈良期につくられた乾漆造

胴部は鎌倉期に後補された寄木造である

しかし頭部と胴体は不自然なく調和をたもち美しい

最近プロの照明家により堂内の照明が改良され

スポット照明を駆使し

その姿を立体的により美しく浮かび上がらせている

その堂内の様子は一見に値する